通り雨

何かと忙しい理系院生の日記

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テレビと流行と言葉

こんばんわ。昨日は雨の中母校の文化祭に行ってきたしのぽんです。

今日は文化祭内でやっていた演劇についての感想と所感を。

とりあえず作品の紹介
作品名:1000years 10years -讃歌-
団体:母校高3有志
脚本は母校の国語教師が書いてました。

ストーリー:
根底にあるものは「言葉」の力でしょうか。
メディアとは何か?この問いから舞台は始まります。
セカチュー・ゴジラ・源氏物語・枕草子など途中の挿話が良く分からなかったのですが、テレビを始めとする事実をありのままに伝えると活字小説・口約束などを始めとする、相手に想像を許すメディアとの対比構造をメインに話は進んでいきます。


作品雑感は↓

ストーリー自体は明確なものではない。どちらかというとメディアについてどのように考えるかが大きな問題だったのではないだろうか、なんて思う。

「流行は作るものではなくてマスメディアによって作られるもの」
その様な台詞が舞台中にありましたが、確かにその通りだと思う。舞台中ではセカチューこと「世界の中心で、愛をさけぶ」を例に引き出していました。発行は300万部を越し、現在日本で最も売れた小説になりましたが、初版はわずか8000部。人気女優である柴咲コウが雑誌のインタビューで「泣きながら一気に読みました」というところから話題が広がったのは有名ですね。その後映画化・ドラマ化が相次いで発表。

そして今に至るわけですが、まず、問題は柴咲コウがどこでこの小説を知ったのかというところ。初版8000部の小説なんてなかなか目に留まるようなものではありません。舞台では出版社の方が勧めたんだろうという話になっていました。
また、映画化ですが、柴咲コウのあの記事よりも前から決まっていたようです。

マスメディアが流行を操作しているのは何もセカチューだけではない。最近の韓国ブーム、いわゆる「韓流」といわれるやつですが、あれなんか最もな例ではないでしょうか。「冬のソナタ」なんか、実にNHKが3回も放送しているのですから。大半の人が韓国に興味がないと思うのですが、一部のコアファンの言い分がテレビで伝えられ、それがなんかなんとなく広がっただけな気がします。それでテレビ局が張り切っちゃって、韓国ドラマをバンバン流す。そしてまたなんとなく見る人ができる。あとはその繰り返しでブームが発生する。というような仕組み。
そんなことより日本のドラマで面白いもの作れと思うのですが。
ネット上のアンケート調査はすさまじいの一言でしたね。

で、話を戻しましょう。
小説・約束など相手に想像を許すようなメディアの方について。
俺自身、小説を書いている身であるので、やはり、文章で何か相手に伝えられるようなものがあればいいなと思う。
文章で伝わるのは、それぞれの想い。
俺の想いが伝わるだろうか。その辺は想像を許すようなメディアでなければできないことだ。テレビのような事実をありのままに伝えるものではそれはできない。
1000年前の作品である源氏物語・枕草子の作者たちはどのような想いをこめて作品を残したのか。そういう点を想像力で補わなければならないのだろう。

1000年後にはどのような生活になっているか分からない。
紙なんて使わない。文字で伝えることなんぞなくなってしまった、なんて時代になっているのかもしれない。1000年前からしたら、現代の生活なんて分からないだから、今の俺たちが1000年後の未来を分かるはずがない。

だけど、個人的には、小説や口約束といった、想像を許すことができるメディアが生き残って欲しいと思う。
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